(仮)

思ったことを書く。生産行為練習中の人生詰んでるクソ学生の雑記。ミュージカル鑑賞が好き。

ミュージカル「パレード」

※今回もネタバレ大いに含みます。※
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ミュージカル「パレード」観劇しました。
スケジュールと経済的な都合で、図ったわけではないのですが大千穐楽公演。
取り敢えず、今作を観ることになった経緯から書くことにします。

 

 上演決定時から面白そうなミュージカルがやるぞ、と知ってはいましたが、このレミ期間に(わたしはレ・ミゼラブルを愛してしまっているので、色々な都合からレミ上演期間中はレミ一筋になりがちです)わざわざ観に行くことになろうとは思ってもいませんでした。
大好きな某パーシー石丸幹二さんと大好きな某ダルタニアン小野田龍之介さんが出ているぞ、他のキャストも歌うま揃い、それに題材も面白そうだ、と言うわけで気になってはいましたが…。
観てしまった…観てしまったよ…このレミ期間のお金の無い時に観てしまったよ…

何故最後の最後に観てしまったのか。
その理由は言われ尽くしているとは思いますがやはり観劇した方々の口コミにあります。
私のようなレミに取り憑かれた人間ばかりで構成されているはずのTwitterが「パレードはすごいぞ」「観るべきだ」「観ないと後悔」のようなツイートで埋め尽くされたのです。
マジかお前らレミに魂抜かれたんじゃなかったのかよみたいな方々が逆に「パレード」に取り憑かれていくのです。
そしてああこれは抗えない流れだぞ、と思っていたところ、フォロワーさんに直に「パレードはいいぞ…」とダイレクト布教をされてしまったところで意識が途絶え、意識が戻ると手元には発券済のチケットがありました。
というのが私がこの作品を観劇するまでの経緯でした。(あほ)
この熱狂の広がり方、このチケットの売れ方知ってる…そう、それは、1789……!!と密かに思っていたことをここに報告しておきます(1789も海外版のCD売り切れか品薄か価格高騰かになってましたよね)。
 ってことは再演ありますねヤッター!(気が早い)

 

 

*

ここから先は完全にネタバレ有りです。ご注意ください。

拙い感想を幾つか。

 

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今作の大まかな印象として、ミュージカルの幅の広さを改めて教えてくれたなあ、という印象があります。

今まで見たミュージカルとは一線を画したストプレ感。

ミュージカルってこんな表現ができるんだ!?って思う程のストプレ感、即ちリアリティ。

ミュージカルは歌って踊る時点でどうしてもファンタジーになってしまうんだね、なんてことにこの作品を観て恥ずかしながら初めて気が付きました。慣れって怖い

この作品はファンタジーになりがちなミュージカルという形態でありながら非常にリアルで…って、それしか言ってないな。

とにかくあのリアリティを以て現実問題として突き付けられるメッセージ"This is not over yet"は我々観客の心に確かに深く刻まれた事でしょう。

 

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This is not over yetとは

今作のメインメッセージであり、

劇中ではレオ達の希望の歌の曲名、

でも幕が下りるとこの言葉は希望ではなく絶望と共に我々への警告となる。

先述のリアリティのある演出も、客席に容赦なく降り注ぐ眩い照明も、我々にこのメッセージを伝えるためのものでした。

劇中で「まだ終わりじゃない」と訳されたこのフレーズが我々に投げかけたのは

「決して過去の話ではない。今現在も続いている(not over yet)問題である」

というメッセージでありました。

レオ・フランクを忘れるな。あの悲劇を忘れるな。劇中の人々の血走った目を忘れるな。死刑宣告時の民衆の熱狂を忘れるな。…

 

*

登場人物について。

わたし的に一番悲しいなと思ったのはフランキー。

小野田くんが個人的に好きなので感情移入してしまうというのもあるし、そもそも彼には感情移入せざるを得ない素晴らしい演技力があります。すき!!

さて、何故レオでもメアリーでもなくフランキーが悲しいのか? 

それは、これからの長い長い人生を罪を背負って生きなければならないからです。

フランキーは17歳の少年です(劇中のどの時点でかは公にされていないのですが)(あとメアリーとのやり取り見てるともっと幼く見えたのはわたしだけ?)。

現代の私たちの感覚からすると17歳というと高校生、まだまだ子供です。

そんな子供が大切な人を失い、そして自ら大きな大きな取り返しのつかない罪を犯してしまうのです。

幼く、自分の行為を裁きの鉄槌と信じ込んでいた所もあるでしょう。自分は神だと、メアリーの騎士だと。

そして、死んだ二人とは違い、生きているからこその苦しみを持ち続けなければなりません。

劇中では彼のその後は描かれていませんが、彼はあの後罪悪感に襲われ続けるのではないか、まともな精神状態で生きれる訳がないのではないか、と思いを巡らせてしまいます。

あの悲劇がなければ、大人がレオを犯人に仕立てあげなければ、きっと彼はあんなに重い罪を背負わずに生きていられた。

そう思うと、やりきれない気持ちでいっぱいになります。

そして、たった17歳の少年にあんなに歪んだ正義感を植え付けた大人達を恨まざるを得ません。

 大人達に関しては嫌悪感でいっぱいなので(わたしもまだまだガキなのである意味フランキー状態なんですよね、多分)今回はコメントを避けますが、こんなに嫌悪感でいっぱいになれるのもキャストの皆様の素晴らしい演技あってこそです。

本当に素晴らしいものを見せていただいた。

本当に本当に、許せないけれど。

 

*

最後に、今を生きるわたしがこの作品に思ったこと。

わたしがミュージカルでよく見る民衆は大抵愚かで煽動されやすく、無力です(わたしのとても狭いミュージカルの世界はほぼ19世紀頃のフランスあたりで構成されているから…)。

しかし、19世紀フランスではほぼ無力だった民衆が今作20世紀アメリカでは大きな力を持っていました。

アメリカだから。

アメリカでは民衆は権力者でした。それも、愚かで煽動されやすいまま、大きな権力を持ってしまった。

劇中の名も無い南部の民衆は、南北戦争中の価値観そのまま、戦没者追悼記念日には老兵を讃えるパレードを開催し、子供も大人もそのパレードに連合軍旗を振っていました。

北部人への敵意識は消えずに、戦争が終わった当時には根深い差別や偏見へと繋がっていきました。

アトランタの民衆が思い描く典型的な北部人で、それもユダヤ人であったレオは権力者たる民衆の格好のエサとして、証拠も無いまま叩かれ尽くされ、最後には…

…と、この感じ。最近どこかで見たような気がしてならないのは、きっと米大統領選のことでしょう。

当時の南部と北部の分断、アトランタの民衆の人種差別的思想は現代のアメリカの内陸部と沿岸部の分断や、彼の大統領や支持者の人種差別的思想を連想させます。

劇中アトランタの人々が北部人に抱く妬みや恨みは、彼の大統領の支持者である内陸部の白人が移民などに抱く妬みに似ています。

さて、劇中でパレードに歓声を上げ軍旗を振る人々と現代社会で彼の大統領に喝采を送り国旗を振る人とはどこに違いがあるのでしょう。

天国のレオフランクはこの情勢をどう見ているのでしょうか。

第2のレオフランクは本当に、本当に誕生し得ないのでしょうか。

(特定の人物や特定の政治的思想を批判しているわけではありません。思想は自由。だから殺さないで)

 

と、このように某大統領を強く連想しすぎて、わたしたちの住む日本ではどうなのかはあまり考えられませんでした。

国の分断?そんなものがある気はあまりしていないし、そこまで深刻な問題が顕在しているとは思えないし…。

…と思うわたしこそ、誤った正義感からパレードに旗を振り、民衆のひとりとして「レオ・フランクを殺せ!」「あのユダヤ人を吊るせ!」と叫ぶのかもしれない、知らぬ間に罪のない人の首を絞めているのかもしれない、と気づいた時は流石にゾッとしました。

This is not over yet.

明日は我が身。

 

 

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感想がいい感じに終わってしまったので書けませんでしたが、今作は舞台作品としてとっても素晴らしいものがありました。何様って感じですが。

印象的な紙吹雪。最初にこんなに降らせちゃっていいの!?お掃除大変じゃん!?と思ってしまったのですが、実は演出で降らせただけでなく舞台セットとして大樹と同じくずっと事件を見ていたのには驚きました。

そして冒頭ではあんなにかっこよく勇ましく思えたスネアドラム(無知すぎて死刑執行時にドラムを鳴らすなんて知識無かったです)がラストシーンではもうやめて!と演奏者さんの腕を握って止めたくなるとは…

言わずもがな、キャストの皆様の演技も素晴らしくて!!

素晴らしい作品でした…とてもよかった…本当に良いものを見させて頂いて本当にありがとうございますCD待ってます…

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しかし観劇って本当に素晴らしい趣味ですね!

他人の人生を生きてみたり、神の視点で見てみたり。

その体験から自分を見つめ直せる。

なんて素晴らしい趣味なんだ!!!

観劇の喜びを再確認させてくれたこの作品に深い感謝と敬意を表します。

 

 

作業中BGM↓

・「悲しみの報い」- 1789 バスティーユの恋人たち

・「ブイドイ」- ミス・サイゴン