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(仮)

思ったことを書く。生産行為練習中の人生詰んでるクソ学生の雑記。ミュージカル鑑賞が好き。

舞台オタクによる感想「ユーリ!!! on ICE」

「僕らは愛と呼ぶ 氷の上のすべてを」

 

ポッポです。

追いかけていたアニメ「ユーリ!!! on ICE」(以下ユーリ)が最終滑走を終えたので感想のような文章を書こうとしてみんとて、するなり、です。

 

わたしは元々フィギュアスケートが好きです。

中学生の頃、テレビで羽生結弦選手の演技を見て釘付けになり、ニコニコ動画の素晴らしい動画群に背中を押されてスケオタの世界に入りました。

今でこそそこまで熱心に追いかけている訳ではありませんが、一時期は寝る暇も惜しんで海外のストリーミングを見たり、大して英語力も無いのに海外の記事を読んだり、授業中にこっそりオンリザ観戦をしたりとまあまあ熱心なスケオタだったのではないでしょうか。(知識はあまり無かったけれど)

そんな熱心なスケオタ業(Twitter)をしている最中、飛び込んできたスケートアニメ制作決定の報。

スケオタになる前は二次元オタクをしていたわたしですから、すぐに食いつき、放送を待ちました。

ビジュアルが公開され、キャラが公開され、声優が公開され、放送日が公開され…

とてもワクワクしながら、待ちに待った第一滑走に、雷に打たれたかのような衝撃を食らったのを覚えています。

ちなみにわたし、基本的にアニメを見ません。ストーリーものはアニメだろうとドラマだろうと殆ど続きません。

そんなわたし、ポッポによるユーリの感想のようなものです。

 

 

冒頭にも引用した勇利のセリフ、「僕らは愛と呼ぶ 氷の上のすべてを」がこのアニメを象徴しているように思います。

愛。

ユーリの世界の氷の上ではさまざまな「愛」が表現されてきました。

恋愛、性愛、友愛、師弟愛、無償の愛、家族愛、、、

登場人物の誰もが「愛」に生き、人々と関係を築いていく世界。

そして、二者が結んだ愛が決して他者により否定されることのない世界。

わたしはこの世界が大好きです。

このアニメ、「本格フィギュアスケートアニメ」を謳っていますが、物語の軸はフィギュアスケートではなく、愛のように思えます。

 

 

勇利とヴィクトルについて書きたいと思います。

というか、このアニメの感想を書くなら書かなければなりません。

勇利とヴィクトルのあの親密な関係性については、カップルだ、ブロマンスだ、ただの師弟愛だ、と様々なことが言われていますが、わたしはこの全てに違うと言いたいです。

それは、勇利とヴィクトルの関係性はこの作品を象徴するもので、愛という言葉にはまらないものだと思っているからです。

意味わかりませんね。

わたしもわかりません。

まあ勇利も「愛"と呼ぶ"」と言っていますし、そういうことなんですよ。

恋愛やら性愛やら、愛のつく言葉を並べておきながら、わたしはこのアニメを見て「人間の関係性の全てが一般的な名詞に当てはまるわけなくね?」と考えています。

まあ、そういうことなんですよ!

そういうことなので、12回に渡ってあれだけのエピソードを我々に見せてくれた勇利とヴィクトルの関係性を一般的に愛と呼ぶことはわたしには憚られます。

敢えて言うなら、様々な側面を持った2人の関係性は、「愛」の集合体とでも言うようなものでしょうか。

勇利がヴィクトルの愛好者であったこと、距離が縮まるにつれ深まる師弟愛、寝食を共にしたことによる(血は繋がってないにせよ)家族愛、対等な関係になり喧嘩までするようになる友愛、お守りのペアリングや結婚発言で色が強まった恋愛、性愛…

これだけ沢山の要素を持った関係性を端的に表現できる言葉を私は知りません。

勇利とヴィクトルの間には、これだけ沢山の「愛」がある、2人は「愛」の集合体であり、この作品の軸である「愛」の象徴である、と私は考えます。

「愛(のようなもの)」と表現したいところですけど。

 

 

そして、勇利とヴィクトルに関係して、「ユーリはBLアニメじゃねえぞ!」問題について。

わたしはBLだと思っていないこと、2人の関係性がボーイズラブという一般的な名詞に当てはまらないのはちゃんと読んでくださってる方ならわかってくださると思います(ありがとうございます)しこれ以上書きません。

しかし、やはり際どい(とも言いたくないんですけどね!仕方がない)描写に、これは…となる視聴者の皆様の気持ちも大いにわかります。

画面のこちら側の皆様は、2人の距離がやけに近いとホモだ!と大声を上げ、2人が指輪を交換すればホモだ…!と阿鼻叫喚になったと思います。墓掘りの皆様お疲れ様でした。(このようによく使われる「ホモ」という言葉が直接ホモフォビアを指す言葉ではないことをわたしは知っています。腐女子だから。)

一方で画面の向こう側のキャラクター達は何事も無かったかのように演技に拍手や歓声を送り続けたり、目を輝かせ結婚(してないけど)を祝福し街の人まで巻き込んで拍手を送ります。

ユーリの世界は他人の愛を否定しない世界だから、同性であろうと国が違かろうと関係ないのです。

現実の世界がユーリの世界みたいになったら良いのになーって話はあとで、画面を隔てた2つの世界の反応がここまで違うことが面白いなと思った話をさせてください。

わたしは今はただのミュージカルオタクです。

アニメなんて久しぶりに見ました。

舞台の世界では、ラケットを振ればそこに存在しない珠が飛んだり、ハンドルを握り足踏みをすればそこに存在しない自転車でのレースが始まります。

離れ離れであるはずの恋人が舞台の真ん中に立ち隣同士で歌っても、そもそも登場人物が突然歌い出しても誰もおかしいとは言わない、かなり変わった世界です。

わたしが大好きな大好きなミュージカルで言っていました。

「舞台と客席は共犯関係!みんなで一丸となって嘘をつき騙されます!」

わたしたちミュージカルオタクは演者が堂々と発する「嘘」にすすんで「騙され」にいきます。

この「共犯関係」が染み付いているからこそ、アニメ側が発する「愛を否定しないことが当たり前」という悲しいかな「嘘」に、すすんで騙されに行かない、行けない視聴者側に少し疑問すら抱きましたし、面白いなと思ったのです。

確かに舞台では、演者と観客は同じ空間にいますし、暗転という素晴らしいツールによって現実から隔離されます。

また、生での表現には制限がありすぎます。

対してアニメは少し目を逸らせばいつものクソみたいな3次元ですし、OPがあれど暗転ほど効力のある現実隔離ツール(?)を持ち合わせていません。

そして、アニメは例え現実に存在しないものでもそこに描いてしまうことができます。

確かにこれではアニメ視聴者には舞台オタクのような「共犯関係を結ぶ能力」が育ちませんし、必要がありません。

しかし、わたしからするとユーリにおいては必要でした。

ユーリは騙されてくれない視聴者にさらっと「嘘」をついてきました。

このギャップが、視聴者が混乱させてしまったのかなーと思います。

ユーリの世界では同性愛であろうと当たり前だし、特別なことではないので取り上げる必要がない。

でも視聴者の世界では当たり前ではないし、特別なことだからBLだホモだと言う。

舞台オタクとしてユーリの世界と共犯関係を結んだわたしにはなかなか気づかなかったギャップなので、ここに書き留めておきたいと思います。

 

 

最後に。

ユリオの話とか好きなキャラの話とかもっと書きたいことはあるんですけど疲れたので辞めときます。

最後に言いたいのは、「ユーリの世界は我々の世界の近未来」説。

 このままいけばユーリのような4回転のインフレは起きるでしょうし、中国杯で車が置いてあるなど妙にリアルすぎる設定に、「ユーリの世界はわたしがいるこの世界の続きかもしれない」と思わされました。

サグラダファミリアはまだまだ工事中でしたけど…笑

それだけに、「愛を否定しない世界」が「嘘」にならない未来が近いうちに訪れると嬉しいな、と思います。

 

長々と失礼しました。